2004/12/8
管理人のつぶやき
2004年12月7日(火)
今日の明け方、パピヨンのライラが
享年10才8ヶ月13日で
永遠の眠りにつきました。
昨晩お休みを言った後静かに眠りにつき、
今朝、二度と目覚めることなく
静かに虹の橋の向こうへ旅立っていきました。

ライラがうちへ来てからもうすぐ4年になるところでした。
それまではショードッグとして色々なところを廻っていたので、
ライラはとても気丈で、気高いくらいの気位の持ち主でしたが、
うちへ来てからはだいぶ穏やかになってきました。

小型犬として10才はそんなに長生きといえる年齢ではありませんが、
生まれたところを離れて一時のオーナーさんのもとへ、
そしてアメリカへ渡りAMCHを完成後帰国、
日本でもショードッグとして色々なところを廻り、
やっと穏やかな余生を過ごすためうちにやってきました。

まだ十分な時間を過ごせたとは言えませんが、
山あり谷ありのライラにとっては十分な一生だった
と考えてあげても良いのではないかと思います。

HAPPY SMILES FAMILY と一緒に暮らした楽しい日々をありがとう。
ライラの冥福を祈りたいと思います。


2004年12月8日(水)晴れ

ライラ、安らかに・・・
享年10才
穏やかに日々の日課の一部のように安らかに眠りについた後、
虹の橋の向こうへ旅立つために永遠の眠りについたライラ・・・
突然の出来事と言えばそれは私たちにとっては本当に突然の訪れでした。

ライラはすでに、うすうすお迎えが近いことを知っていたに違いありません。
振り返ってみればなくなる前日からいつもに比べて少し元気がないな
と感じていました。
でも少しいつものライラに比べ元気がない以外、
本当にいつも通りのライラでした。
苦しい表情を見せたり何か具合が悪そうな様子をしたわけでもなく・・・
ほんの少しだけいつもとちょっと違うかしら?
と感じたのは管理人の気のせいかしら?
と思うほど他のみんなには気づかれないほど最後まで
いつものライラでした。
そんなけなげで、気高いライラは、
なくなった当日の夕ご飯を全く口にしませんでした。
すでに旅立ちを予感していて食べなかったのでしょう。
今でも最後にお休みの言葉をかけたとき、
「なあに?」
と言いうようににこちらを振り向き
私の目を見つめたライラのつぶらな瞳を思い出すと、
どうしようもなく切ない気持ちになり、止めどない涙があふれてきます。

ライラにとってショードッグとして暮らしていた日々。
たびたび変わる仮の宿と仮りの主人、たびたび変わる仲間達に、
他のごくありきたりのただ一人のご主人と
一つの我が家を持つワンコさん達とは比べものにならないストレスや
不安があったかもしれません。
その自分の立場に常に気を張って毎日を過ごしていたライラには、
一見華々しいショードッグとしての一面とその反面、
自分の本当に落ち着ける場所はここなのかしら?それとも・・・?
と思う不安が常に隣り合わせであったのだと思います。
それはライラに与えられた宿命だと考えれば
素直に受け入れるしかありません。
でもそう多くはないといえ、又ごく一般の方達からすれば
考えも付かないショードッグの宿命なのかもしれません。

ショーを引退するときに、初めに行ったオーナーさんのもとを
オーナーさんの一方的な意志で出戻らされその後、
渡米して見事AMCH完成、等々、ライラのこれまでのいきさつ、
これから二度と変わらぬ安息の居場所を求めるライラのことを伺ったとき、
実際ライラに会ったことも写真で見たこともなかった私は園長の
「年寄りの犬を迎え入れればその分、沢山の別れが待っているんだよ。」
という現実の言葉に同意してはいたものの
引き取って余生を穏やかに暮らさせてあげたいという思いでいっぱいでした。
園長は渋々承諾してくれたので、
2001年1月7日にまだ見たことのないライラを
お迎えに行ったことがついこないだのことのように思い出されます。
うちに来てからも気丈なライラは
常に耳がピンと立っていてほとんど倒れることがありませんでした。
すごく気を張っていたのですね。
でもこの1年くらいライラ自身変化が見られるようになりました。
やっと家が最後の自分の二度と変わらぬ我が家だ
と認識してくれたのではないかと思うのですが・・・
ほとんど倒れることのなかった耳が
「ライラ!」
と家族の誰が呼んでも後ろへ倒れて
消極的ではあったのですが目を細め喜びを表してくれるようになったのです。
成犬を迎え入れた場合、本当に心底、心を開いてくれるのに
早い子で6ヶ月一般的にはだいたい1年くらいかかるように思います。
でもライラの場合はその何倍もの時間がかかりました。
人を信頼してはいるのですが、本当に命を投げ出してまで・・・
といい方がちょっとオーバーですが、それくらい信頼してくれるには
ライラの場合すごく時間がかかったのだと思います。

ライラが家で暮らした3年11ヶ月、私と初めてあったのが7日(1月)でした。
そして最後のお別れの日も7日(12月)だったなんて・・・

そう、偶然にも今、私もライラと私の運命の数字が7だと知りました。
そして私と出会ってから、またなんと切りの良い生涯を遂げたのでしょう!!
年初めの1月に出会ったライラは、年の瀬の12月にお別れをしたのです!!

都合良くつじつまを合わせるとかそんなことではないと思っても
なんという偶然のいたずら?
あまりにもできすぎていて、何ともあっぱれな往生と思わずにはいられません。
ライラとの少ない日々を過ごした私にとってその偶然を知ることは
ライラが私に
「私のことをいつまでもずっと忘れないでね!」
と言うメッセージを託して自分を印象づけるために起こした偶然としか
言いようがないのではないか、
という気がしてしまうのはただ単に私の気のせいなのでしょうか?

ライラと一緒にHAPPY SMILESの仲間として共に暮らしたのは
本当に短い間でした。
そしてライラが私たちに心から信頼を寄せてくれた時間は
またさらに短い時間でしたけれど、
たくさんの思い出とたくさんの喜びをありがとう。

ライラは他の誰よりも気高く美しいパピヨンでしたね。

ライラの最後のつぶらな瞳をこれからもずっと、私は決して忘れないでしょう。


ライラの死はとても穏やかではありましたが私にとっては突然の出来事ともいえました。
私の涙が止まらなかったのはライラを失った当日ではなく、翌日でした。
当日は、あまりの突然の出来事、ライラのあまりの潔さ、
またその日はいつになくとても仕事が忙しかったために、
私自身の気持ちがその事実について行けなかったのかもしれません。


ライラの小さな骨壺を見つめながら
今までのライラとの思い出がまぶたの奥に
走馬燈のように映し出されていきました。


今回は、管理人hiroが、余生を穏やかに過ごさせてあげたいと思い迎えたショードッグを引退したパピヨン、ライラの死を偲んで書いた追悼記です。

愛犬との別れはいつかやってきます。頭の中ではわかっていても実際その事実に直面して、自分が今まで覚悟していた気持ちとは又違った感情がわいてきたように思います。
出会い、出産誕生、出産のドラマは特に一つとして同じものはありません。
そして永遠の別れ、それも又ただ一つ。出産のドラマに等しく、全く同じ別れはないのです。

私はそれぞれの出産のドラマ、そして今回の悲しい別れを通してまた新たな感情とコンパニオン達に対しての関わり合い方について深く考えさせられた気がします。
読んでくださった方が同じような経験をされたとき、悲しみの沼からの出口が見つからず、ペットロスになってしまわないように、またご自分の考えと愛犬に対する思いを自分自身でしっかりと受け止める事ができるように、ほんのちょっとのきっかけになってくれれればと思います。

年老いてその寿命をいかに全うするか、私たち人間も同じですが、愛犬との色々な別れの時がやってきます。その時、いかに沢山の思い出とともにその別れを穏やかに見守れるか、とても難しいことでしょう。そしてその別れの時、それが突然だったとしても、後で思い返してみたとき、必ず自分の心に残る愛犬の瞳の輝きを思い出すことでしょう。その瞳の輝きはあなたの心の中をいつまでも明るく照らし続けていくここと思います。
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